あたまの中の1LDK

毎日、本、勉強の整理整頓

タイプを考えながら散歩した結果

恋愛らしい恋愛をしたこともなく、自分は無性愛者なのでは?と考えた。

それでもこの先60年、下手すりゃ80年を1人で生きるには人生長すぎる。普通にさみしい。人生への刺激を1人で供給し続けられる自信なし!

だから、今まで、何百回も話したであろう自分の好きな人間のタイプについて1人で考えてみた。思い返せばこの話題は人と話したことしかなかった。

 

自分より余裕がある人?自分より落ち着いた人?と自分にない気質を挙げてみたけど、結論「違いを楽しめる人」だなと思った。

就活の自己分析の一環で、MBTIとかやったのね。んでMBTI上の相性最悪(確かにフック、気質、思想がギャグかと思うくらい合わない)の子が実は大学でも指折りの仲良い子なんだわ。

なぜ仲がよいのか、それは話せば話すほどズレていく会話を、同じ物を見たのに違う物見てたんじゃないのかと思うくらいの感想を、お互い楽しめるから。

同じが安心を生むなら、違いは意外性を生む。んでこの意外性を楽しいと思える人が良い。

 

ということを考えてたらふと高校の時のことを思い出した。

先生のギャグにも笑わないし、イベントの委員やってもまとめるのがめっちゃ難しいクラスなんだけど、最高に愛着が湧いたクラスでもあった。世界に楽しいことないんじゃないかって思ってる子も、世界を自分の物みたいに楽しんでる子も、不登校の子も、中二病の子も、優しい子も、スレてる子も、私も、どんな人間だって迫害されない。みんな「そういうキャラクター」が許される空間だった。個人を誰も馬鹿にしないの、みんながみんなを尊敬まではしてないんだけど、認知してた。

それって、互いに過干渉はしてないけど、関心はある状態だよね。クラスのみんながどう思ってたのかは分からないけれど、そういうのが案外丁度良いってことなんかもしれん。

ちょっとセンチメンタルな気持ちになってしまった。

でも今私がなりたい姿が過去にあった。ちょっと嬉しい。